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希学園講師コラム のぞみの広場

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「日本代表」

No.37 2014年07月01日
国語科講師 江澤 訓


 現在ブラジルで開催中の4年に一度のサッカーの祭典・ワールドカップでは、残念ながらわが日本代表はグループリーグ敗退という結果になってしまいました。といっても今回のコラムはサッカーの話ではありません。みなさんが日本語を使ういわば「日本代表」として、日々正しい日本語を使うことをどれだけ意識しているかを問うてみたいのです。毎回そんな話じゃないかという言葉が飛んできそうですが、そうです。そんな説教くさい話です。


 現在、日常生活の中で使われている日本語には、本来の意味が消え、少なくとも現時点では「誤用」であると言わざるを得ないものが少なくありません。その例を今回は三つほど挙げていきます。

 まず、「破天荒」という言葉。手元にある辞書では「今までだれも成し得なかったことを初めて行うこと」とあります。しかし、どうでしょう。多くの人がこの言葉を口にするとき、2年ほど前に流行した「ワイルド(だろう?)」と同じような意味でとらえてはいないでしょうか。つまり、「細かいことは気にしない、勇ましくて器の大きな人間(もしくは生き方)」という意味に限定されているような気がするのです(ワイルドという言葉の使い方も誤用に近い気はしますが……)。最近、テレビなどで「破天荒な芸人」などと自称して暴れ回っている芸人を目にすることが多くなりましたが、私はその度にテレビの前で「あなたは何かを成し遂げたのですか?」と(実際はもっと下品な言い方で)突っ込んでいました。もっとも今では、何も成し遂げていない者が言うからギャグになるんだなと勝手に納得し、温かい気持ちで見守っています。

 次に「奇特(だ)」という言葉。本来の意味は「行いや心がけがまれに見るほどすぐれていること」です。しかし、どうでしょう。多くの人が「あの人は奇特な人だ」と口にするとき、その「奇特な人」とは、「一般的な考えや行動とずれた行動をする変わった人」を意味してはいないでしょうか。本来は褒め言葉として使うべき表現であるということなどみじんも思ってはいないでしょう(すみません、ちょっと言いすぎました)。

 そして「うがった(考え・見方)」という言葉。「穿つ」という言葉の意味の一つに「物事の真相や人情の機微をたくみにとらえる」というのがあります。つまり、「うがった考え」というのは簡潔に言うと「鋭い考え」ということになるはずです。しかし、どうでしょう。多くの人が「穿った考え」と口にするとき「物事を真正面からではなく斜めからとらえたひねくれた考え」という意味になっているような気がします。テレビの中で行われている討論などで、よく「これはうがった見方かもしれませんが」と前置きをして話し出す人を見ることがあります。本人は謙遜して言っているつもりなのでしょうが、私は「あなた、自分で自分の考えを褒めてますね、自画自賛ですか?」と(実際はもっと下品な言い方で)画面の前で突っ込んでいます。希学園で行われる会議では、今のところそんな場面には出くわしていませんが、今後、希学園の会議の中でそんな発言をする人間が出てきたら優しく突っ込んであげようと手ぐすね引いて待っている今日この頃です。


 では、なぜそのような「誤用」が生じてしまったのでしょうか? 私はこの「誤用」の要因の一つに「日本語に対する甘えと怠惰な態度」があるのではないかと思っています(ここからは完全な私見なので、あまり鵜呑みにせず気軽に読んでください)。

 例えば、Aさんがこの世のルールに一切従わず、他人に迷惑をかけ続けてハチャメチャな人生を送ったとします。それをBさんが「あの人は破天荒な人だったなあ」と皮肉をこめてつぶやきます。するとそのつぶやきを聞いたCさんが その皮肉を理解できず、「そうか、『破天荒な人』というのはハチャメチャな人生を送った人のことなのか」と、Bさんの真意も本来の意味も確かめずに勝手に思いこみます。また例えば、とても風変わりで周りの人がなかなかついていけないAさんという人がいたとします。BさんがAさんに向かって「Aさんって奇特な人ですね」と皮肉をこめて言います。するとそれを聞いたCさんが「そうか『奇特な人』というのはとても変わっている人のことなのか」と勝手に思いこみます。また例えば、ある会議でAさんがとても偏った意見を述べたとします。BさんがAさんに向かって「あなたの考えはとてもうがった考えですね」と皮肉をこめて言います。するとその会議の場にいたCさんが「そうか、『うがった考え』というのはひねくれた考えのことなのか」と勝手に思いこみます。

 さて、このCさんの共通点は何でしょう? 自分が耳にした言葉の意味やその言葉を口にした人の真意を確かめずに勝手に自分で思いこんでいるという点ですね。その言葉の本来の意味を確かめる作業を怠ってしまっているわけです。その根底には「日本語だから調べなくてもいいか」という甘えが存在していると言えるでしょう。そして、特に最近の日本にはこのCさんのような人が増えてしまっているのではないかと思うのです。

 もちろん、言葉は生きものです。年月とともに意味も変化し、かつては「誤用」とされていた使用例も正しいと認められることも少なくありません。しかし、「型破り」が「型」を熟知していてこそできることであるのと同じように、その言葉の本来の意味を知らずに使っていたのではただの「無知で愚かな者」になってしまいます(すみません、ちょっと言いすぎました)。

 私はみなさんにCさんのようになってほしくはありません。ですからみなさん、日頃から辞書を引く習慣をつけましょう(この締めくくり方も一つの型になりつつあります)。


 追伸

 この駄文に最後までつきあってくれたあなた、あなたって奇特な人ですね。


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