粉骨砕身

粉骨砕身

甲陽学院中学校

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 僕はずっと憧れていた甲陽学院中学校にこの春から進学します。
 合格への道のりは決して楽なものではなかったけれど、希学園の先生方をはじめ、家族や学校の友達に支えられて合格をつかみ取ることができました。希学園での6年間(特に6年生の濃い1年)をここに書き記して、これから受験する皆さんの役に立てば嬉しいです。

〈1年生〉
 幼稚園の時から週3習っていたそろばんが、小学校に入学して電車通学になった僕には通うのがきつくなり、週1の計算塾をたまたま見つけたのが希学園入塾のきっかけでした。授業はとても面白くて行くのが楽しみでした。先生に「最高レベル演習算数の資格取らない?」と言われ、それが何なのかも全くわからない状態で、言われるがまま、その日にテストを受けたら1回で合格し、2年生から最高レベル演習算数を受講することになりました。

〈2、3年生〉
 最高レベル演習算数のみ受講。木原先生、本郷先生、小方先生の授業はとても楽しく、特に小方先生の授業はよく笑って受けていました。

〈4年生〉
 ベーシック3教科(クラスはPC6)、最高レベル演習算数を受講。野球とピアノをしていたので、ベーシックは土曜日コースを受講。この頃成績のことは全く気にせず、友達と遊んだりゲームをしたり、とりあえず楽しく塾に通えればいいと親は言ってくれていました。宿題は算数・理科はきちんとしていたけれど、国語が苦手で宿題プリントはいつも適当に提出していたので、毎回評価が悪かったです。でも全く気にしていませんでした。

〈5年生〉
 ベーシック3教科(クラスはPC4・PC5)、最高レベル演習算数(秋から最高レベル演習理科受講)。この頃から甲陽学院中に行きたいと思い始めました。国語は相変わらずまじめにせず、だんだん足を引っ張るようになってきました。甲陽学院中に行きたいなら最高レベル演習理科を受講した方がいいと小方先生に言われました。受講資格の偏差値が取れていなかったので、中西先生にやり直しをみてもらったらいいとアドバイスをもらい見てもらうことになりました。中西先生との出会いは甲陽学院中の合否をわけるほど大切なものになるとはこの時は思ってもみませんでした。まず先生に言われたことは「とにかく考え方をきちんと書くこと」「自分の用意は自分ですること」でした。初めて会ったのに自分の生活を見抜かれていて、「えっ? なぜわかるの?」と驚きしかありませんでした。その日から中西先生に徹底的にしごかれました。顔を見る度に「考え方を書け!」と言われ、何度もノート提出をして3か月で偏差値55以上取れるようになり、最高レベル演習理科を受講することになりました。最高レベル演習理科はベーシックと全く違い、難しくて、この頃の自分には到底解けるような問題ではなかったけれど、難問に触れておくことが大切と言われ、頑張って受けていました。この頃の自分に声をかけるとしたら「わからない問題は必ず質問せよ!」です。希学園では5年生で受験の全ての基礎範囲を終わらせるので、習ったことを確実に理解して、できない問題がないようにしないと6年生の応用問題を解くのにかなり足を引っ張ることになりかねないです(僕は理科で後々苦労することになりました)。

〈6年生〉
【春】
 ずっと続けてきた野球をやめ、友達と遊ぶのもゲームも封印して塾中心の生活がはじまりました。コースは第一志望校の甲陽学院コースからのスタート。チューターは山添先生でした。最高レベル演習算数は森(匠)先生、最高レベル演習理科は三倉先生で、この頃の僕は先生が怖くて(特に森先生)、質問に全く行けず、わからない問題は他の先生に聞いていました(今思えば本当に後悔です)。三倉先生の授業を初めて受けた時あまりの熱意のこもった授業に完全に圧倒されたのを覚えています。先生の解法はきれいでスマートで、僕は正直「こんな解き方入試でホンマにできんのか?」と疑っていました。この頃の最高レベル演習理科の宿題プリントのコメントには厳しい言葉が書かれていて、評価も低く、自分の甘さがそのまま表れていました。
 山添先生からは新聞のコラム読みと難問計算を毎日するように言われました。宿題プリントは「深く狭く」でもいいので1つ1つの問題に真摯に向き合いなさいとよく言われていました。あと三国志が好きだった僕に山添先生が北方謙三のシリーズを薦めてくれどっぷりはまってしました。この小説には知らない言葉がたくさん出てきたけれど、自分の興味のある内容だったので、難しい言い回しも自然と理解できるようになりました。この頃から壊滅的だった国語の模試の成績が少しずつ上がってきました。でも甲陽学院中入試実戦テストは毎回ぼろぼろで夏まで一度も合格できませんでした。

【夏休み】
 毎日夏期早朝サポートルームに行き、夜は居残りサポートルームまでみっちり勉強しました。体力的にはしんどかったけれど、毎日充実していました。夏期講習では灘甲陽理科と実戦レベル演習理科の選択講座があり、最高レベル演習理科でも点が取れていない自分は灘甲陽理科を取ってもきっとできないだろうと悩み、三倉先生に相談したら「理科に対して自信がなくなっているので実戦レベル演習理科で上位にいることを実感することが今の君に必要」と言われ、甲陽学院コース生で自分一人だけ実戦レベル演習理科を受講しました。プライド的にとても嫌だったけれど、あの選択は間違っていなかったと思います。実戦レベル演習理科ではほぼ1、2番で、とても自信がつき、苦手範囲の確認もできとてもいい経験でした。
 自分の分岐点になったのは間違いなく夏期合宿でした。甲陽学院コース・東大寺学園コース・大阪星光学院・西大和学園(男子)コースで3日間過ごしました。コース間での仲間意識が高く、3コースで争っていました。算数の問題を一発合格した時に初めて森(匠)先生に褒めてもらった言葉がとても嬉しく、さらにやる気に繋がりました。部屋のペアは違うコースの人と割り当てられ、どんな子と一緒に過ごすのかドキドキしましたが、とても話しやすくお互いの教室の先生の話をしたり、夜遅くまで盛り上がったりしました。夏期合宿で学んだことは「本気でやることがここまで楽しいんだ!」ということでした。初めて感じた気持ちでした。
 第2回プレ甲陽学院中入試B判定合格
 ここから僕は人が変わったように怒涛の勢いで取り組み始めました。後から聞いた話ですが、夏以降先生も事務の人も僕のことを「顔つきが変わった」「別人になった」と話していたようです。最高レベル演習理科の宿題プリントの評価もAになり、三倉先生から凄く褒めてもらうようになり、その言葉がさらにやる気を増してくれました。この頃からクラスはPC3に上がり、ベーシックの授業全て甲陽学院コースの先生になりました。山添先生の授業は本当にわかりやすく、宿題プリントの学習欄も細かく指導を受け、先生の言うとおりにしていたら壊滅的だった国語の偏差値が60を超えるまでに上がりました。1つ1つの問題にきちんと向き合い、わからない問題は必ず聞き、自分のものにするということが結果に繋がるということを、身をもって感じました。
 9月甲陽学院中入試実戦テストB判定合格

【秋】
 志望校別特訓[第Ⅲ期]から宿題が回せない人が出てくると聞いていたので、自分で1日ずつの予定を細かく作成し、チェック方式にしてこなしていました。志望校別特訓の宿題の量は半端なく、提出しても次から次へと課題が追いかけてきて、正直「鬼か」と心の中で思ってました。僕はさらなるサポートルームも取っていたので、帰ると23時近くになっていました。まだ残っている課題をしたかったけれど、母に「睡眠時間を削ると体を壊す!」とうるさく言われ、いやいや寝ていました。少しでも力をつけたかったので電車の中で「国語要覧」や理科の暗記、好きな作家の小説を読んで過ごしました。小説はいろんな人の気持ちや知らない世界を知ることができるのでとてもためになりました。公開テストではまだいい成績が取れていたけれど、甲陽型になると相変わらず点が取れず、算数が思うように伸びず、少しずつ悩むようになりました。
 10月甲陽学院中入試実戦テストC判定不合格(6点足りず)
 11月甲陽学院中入試実戦テストE判定不合格……(過去一番悪かった)。
 でも、甲陽学院中への思いは全く変わらず、「自分は絶対に甲陽学院中に行くんだ!」と強い気持ちを持って毎回取り組んでいました。両親は僕の甲陽型の成績を見て、正直かなり不安だったと思いますが、一度もコース変更のことは言わず「絶対に合格するから! 大丈夫だから!」とひたすら僕を信じて励まし続けてくれていました。とてもありがたかったです。後半になってコースのクラスが1組になり少しずつ自信がついてきましたが、問題のレベルがだんだん上がってきて、とにかく毎日必死に授業を受けていました。
 12月甲陽学院中入試実戦テストB判定合格

【入試対策】
 第3回プレ甲陽学院中入試B判定合格、プレ洛南高附属中入試専願A判定合格
 ほっとしたけれど、算数は過去問の点数が思うようにとれず、森(匠)先生に弱点補強講座プリントをたくさんもらい、毎日質問に行き、とことん問題に向き合い、鬼のような課題に限界まで取り組みました。身を削るという言葉がぴったりなほど取り組みました。このことは受験当日の自信と力になりました。志望校別特訓[第Ⅳ期]で初めてクラスがPC1になり、凄く嬉しかったです。

【受験前日】
 おやすみコールは森(匠)先生、山添先生、西村先生、三倉先生、中西先生の順で話しました。みんなから優しい声で「信じてるから頑張ってこい!」と励ましてもらい、すごい力になりました。

【入試1日目】
 緊張してあまり眠れなかったけれど、頭はスッキリしていました。
 国語…超自信あり。
 算数…終わったと思ったが、意地で解いた。
 理科…まあまあ自信あり(これまで特訓してきた超難問化学が全く出ずショック)。
 算数でやってしまった…と絶望的になったけれど、「これで決まるわけではない! ここで負けるわけにはいかない! 明日もある!」と何度も自分に言い聞かせ、自己を奮い立たせていました。

【入試2日目】
 国語…超自信あり。
 算数…自信はないができることは全てした。
 終わった後、やりきった感しかありませんでした。迎えに来てくれた母に「甲陽の入試、めっちゃ楽しかったわ。結果がどうであってもとにかく楽しかった!」と言うと涙を流していました。とてもすがすがしい気持ちで甲陽学院中を後にしました。

【結果】
 合格
 この時、人生で初めて嬉し涙を流しました。涙がとめどなく溢れてきました。全てが報われた気持ちでした。それまでの苦しかったことが頭の中を駆け巡りました。父・母・姉、家族皆で泣いて喜びました。

【ふり返って】
 この受験を通して大切だと感じたことは「最後まで諦めない」ということと、「この学校に行きたいという強い気持ちを持ち続ける」ということです。
 成績が振るわず自信を失っていた時、山添先生に「自信を失う必要など全くない。ここまで地道な努力を確実に積み重ねてきた。間違いなく甲陽に向けて戦えるだけの資格は持っている。自分を諦めたり講師に肩を叩かれたりすることなくこの戦いに残り続けることは並大抵のことではない」と言われ、この言葉を励みに頑張ってきました。山添先生は勉強だけでなく僕の性格を理解してくれ、精神面のサポートもしてくださり、先生のチューター生でいられたことは幸せでした。中西先生はコース外なのに細かく分析してくれ自分の弱点を見つけて必死に教えてくれました。中西先生がいなければここまで理科を好きになることもなかったし、合格できてなかったと思います。森(匠)先生は、初めは話しかけることすらできずかなり恐れていたけれど、質問に行くととても優しく、どの先生よりもわかりやすく本当に助けてもらいました。三倉先生はいつもすごい解法で圧倒の連続で、超難問も腑に落ちまくりでした。僕の中では間違いなく偉人です。
 この合格体験記速報版を書くように三倉先生に言われた時はとても驚きました。甲陽学院コースの3人の先生がまず自分の名前を挙げてくれたそうです。「君が書かずして誰が書くんや!」と言われとても誇らしく思いました。甲陽型になると点が取れなく、落ち込んでいた僕に「甲陽コース講師陣満場一致で、一番やってるのも、一番伸びたのも君だと言ってる。とにかく頑張れ!」と励まし続けてくれた先生方には感謝しかありません。最後踏ん張れたのは、何よりも先生方の1つ1つの言葉でした。

 小方先生、西村先生、留川先生、三上先生、竹見先生、他たくさんの先生方にお世話になりました。
 希学園での生活は自分を最大限成長させてくれました。
 そして、この厳しい受験を乗り越えるために精神面のサポートやお弁当作り、毎日送迎をしてくれた母、前向きな言葉をかけてくれた父、僕のためにやりたいことをずっと我慢して応援してくれた姉に心から感謝します。

【これから受験する皆さんへ】
 どんな局面でも決して諦めず、自分に自信をもって頑張り抜いてください。入試本番中苦しい時に僕は「自分を信じてくれている人がいる! こんなところで負けられない!」と思ってやり抜きました。6年生は夏休みもクリスマスもお正月もありません。暗闇のトンネルを走っている時もありますが耐え抜いてください。その先には必ず光『合格』はあります!

祈 合格!!
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